文化とブランディングの記事では、文化を軸に据えることで、ブランドに確かさ・知恵・独自性という3つの深みが生まれると整理しました。
今回はその実践編として、(株)N37代表のフジノケンがクリエイティブディレクターとして関わった新潟県南魚沼市の古民家ホテル ryugonの再生プロジェクトを例に、「文化を事業に実装する」とはどういうことか、そして地域と企業にどのような利益をもたらすのかを整理します。
本題に入る前に、N37が開発した「文化の力フレーム」について簡単に説明します。
このフレームは、文化を資源×作用→力という構造で捉えます。地域や組織にある資源(環境・関係・技術・歴史・知)に対して、作用(反復・再生・研磨・共創・適応・翻訳・異和)が働くことで、その内に眠る力が引き出されます。
ryugonの事例を、このフレームで読み解くことで、「なぜ文化を軸にすると意味が深まるのか」がより構造的に理解できます。
※本記事で示す[資源→作用→力]の分析は、理解を助けるための例示であり、正式な診断結果ではありません。
ryugonの事例を理解する上で、まず押さえておくべきは、雪国観光圏(DMO)が果たしてきた役割です。
雪国観光圏は2009年の発足以来、この地域に散在する文化資源を調査・体系化してきました。多雪という環境、保存食の技術、8000年続く暮らしの歴史。こうした個別の資源を、「雪国文化」という共有可能な地域コンセプトとして翻訳したのです。
特に重要だったのが、2014年から続く「雪国文化研究WG」での検討です。専門家を交えた議論を通じて、「雪とともにある暮らしが8,000年間続いてきた」という時間軸や、「雪国の知恵」という概念が確立されました(詳しくは→地域ブランディングの手順と難所)。
文化の力フレームで言えば、これは環境資源・技術資源・歴史資源に対して翻訳作用を働かせ、知の力(地域コンセプト)を生み出したプロセスです。散在していた文化要素が、「雪国文化」という一貫した物語として結晶化されたことで、地域の事業者が実装できる形になりました。
ryugonプロジェクトは、建築や体験設計、森の再生など特筆すべき取り組みがいろいろあります。2023年には「地域共生型ホテル」としてグッドデザイン賞も受賞しています。
そんなryugonの取り組みの中でも、ここでは事業者が雪国観光圏の地域コンセプトである「雪国文化」をどんな経緯で導入し、どんな変化につながったのかという観点で掘り下げます。
雪国観光圏の井口代表と私は、2009年からタッグを組んでブランディングに取り組んできました。その過程で痛感していたのが、雪国文化を体感できる場所の必要性でした。中でも宿は滞在時間が長く、文化を体感してもらう意味でとても重要です。地域コンセプトを体現できる宿は、地域ブランド構築の面から要請されるものでした。
井口代表は、旧龍言を事業承継した経緯を次のように話します。
これからの観光は、地域の暮らしや文化を体感できるような、地域全体を一つの文化圏としてとらえる活動として考えていくべきだと思っています。その際、重要になるのはそれを体感できる場所です。たまたま南魚沼市に温泉宿「龍言」という旅館があって、これがフラッグシップとなるだろうなと思って再生を引き受け、「ryugon」として生まれ変わらせました。
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旧龍言は、伝統的なスタイルの日本旅館でした。それを雪国文化を体感できる宿に再生し、グローバルに通用するラグジュアリーと地域文化を両立させること。それが、ryugonプロジェクトの挑戦でした。
例えば、ryugonでは「籠る」「文化体験」「交流」といった過ごし方を気分で選択できるように、館内を「パブリック/コモン/プライベート」とゾーニングしています。ラグジュアリーの本質は、画一的なサービスではなく、滞在者それぞれが自分らしい過ごし方を選べることにあるという考え方を空間設計に落とし込み、土間、プライベート感のあるラウンジ、オープンなバー、客室などを配置しています。
では、ここから地域コンセプトを事業に実装することは、ブランドにどのような意味の広がりや深まりを生むのか。具体的にみていきます。
なお、ここで述べる「確かさ・知恵・独自性」の理論的な背景については、文化とブランディング(理論編)で詳しく説明していますので、併せてご覧ください。

地域に根ざし、受け継がれてきた文化を軸にすることは、流行に合わせるだけのスタイルとは違い、技や知恵、時間の蓄積から生まれる確かさを手にすることでもあります。
ryugonのある南魚沼市は、世界でも有数の多雪環境で、水分を多く含む重い雪が積もります。雪の重さを支えるために、この地の建造物には太い梁や柱が使われています。かつて武家屋敷や豪農の館として使われた建物を移築したryugonも同様です。
リノベーションにあたり、私たちは館内の壁を取り払うことで開放的な空間にするとともに、剥き出しになった古い柱や梁を主役にすることにしました。「雪国文化を体感する」という観点でみると、雪国ならではの重厚な梁や柱は、200年の雪の重みに耐えてきた歴史の証言者という意味を持つと考えたからです。
これは、歴史資源(200年の建物)に対して再生作用を働かせることで、歴史の力を引き出した例です。単に古い建物を保存したのではなく、「200年分の雪の重みに耐えてきた証」として意味づけ直すことで、ブランドに確かさという深みを与えています。
文化とは、環境に適応してきた知恵の集積でもあります。知恵は、自然条件への応答や歴史的な積み重ねが、「暮らしの工夫」として使える形に変わったものです。やがて、その工夫は個人の経験を越えて共有され、道具や手順や作法として定着していきます。
雪国の知恵は、食に色濃く現れます。 半年近く雪に閉ざされるこの地では、乾燥や発酵食など越冬のための保存食文化が育まれました。ryugonでは、そうした保存食の知恵をコース料理に昇華して、食を通して雪国文化を体験する「雪国ガストロノミー」として提供しています。
また、ゲストが地元のお母さんといっしょに郷土料理づくりをする「土間クッキング」も提供し、交流を通して雪国ならではの知恵を学ぶ人気プログラムとなっています。
こうした体験を通して、環境や歴史とつながる生きた知恵に触れられること。それは、ラグジュアリーと地域文化が両立したひとつの形だと考えています。
ここでは、技術資源(保存食の技術、郷土料理の作法)に対して、翻訳作用(日常の工夫を体験価値へ転換)と研磨作用(ガストロノミーへの昇華)、そして共創作用(地元のお母さんとの協働)が働いています。その結果、技術の力が立ち上がり、ラグジュアリーと地域文化を両立させた体験が生まれています。
文化とは、誰かが意図して作ったものではなく、環境に適応し歴史を受け継ぐなかで育ってきた「営みの束」です。その土地ならではの環境から生まれたものだからこそ、必然的に独自性を持ちます。
地域の人々にとって、冬の雪は「また雪か、雪下ろしが大変だ」と嘆く日常の風景かもしれません。しかし、それは世界から見れば「3メートルもの雪に閉ざされながら、高度な社会生活を営み続ける」という、驚異的な異日常です。日々の営みの中にある作法や工夫、季節との付き合い方が、そのまま模倣不可能な独自性になります。
ryugonでは、この独自性を空間で表現しています。従来の「快適さ」の基準で言えば、雪国では建物を断熱し、雪を遮断するのが正解でしょう。しかし、このプロジェクトでは、あえて廊下の壁を取り払う「引き算のデザイン」をして、渡り廊下を外の自然とつなげました。冬、そこを歩けば、目の前に3メートルの雪壁が迫ります。グリーンシーズンには、木々のさざめきを聞き、生き物の動きを感じます。
これは、環境資源(多雪環境、3メートルの積雪)に対して翻訳作用を働かせた例です。「厄介な雪」を「今日的な体験価値」へと読み替えることで、環境の力が引き出されています。雪国の厳しさと美しさを五感で感じる身体感覚が、都市生活者や海外からの旅行者にとっての異日常体験となるのです。
井口代表は、宿と地域の関係性について次のように話します。
私は龍言を単なる旅館ではなく、雪国観光圏の世界観を具現化する場所にしたい。ここに数泊して周辺の雪国文化を感じてもらいたいんです。これからコンテンツとストーリーをしっかりと結びつけて過ごし方のイメージを提供していこうと考えています。このアイデアは、雪国観光圏の活動がなければ出てこなかったでしょうね。
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ryugonが事業コンセプトを通して地域文化を実装し、過ごし方を提供する。この考え方は、施設内で完結するのではなく、施設周辺の地域へと広がっていきます。そもそも文化は、施設の中に収まるものではなく、地域全体に息づいているものです。文化を軸にすることは、その先に、旅行者の意識と足を地域へと向けることにつながります。
そこには、南魚沼市街に近いというryugonの立地も関係しています。ryugonが町のなかにあることは、従来の感覚ではデメリットでした。籠るスタイルの高級施設といえば、孤絶した環境のなかにある隠れ家という常識がありました。
でも、私たちはこれを逆転できる、と考えたのです。プライベートな空間なのに、すぐ近くに町がある。快適性と地域らしさが両立している。これを長所としました。
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その言葉通り、ryugonでは館内のダイニングでの食事だけでなく、六日町商店街での外食を推奨しています。
これにより、地域にお金が環流します。それだけではなく、連泊するゲストの食事の選択肢が広がり、滞在型観光にも対応できるというメリットがあります。
ryugonが施設内への囲い込みをやめ、地域へのハブ機能も担っていることは、文化を軸に据えた結果として生まれた必然の形だったと言えるかもしれません。
ここまで見てきたryugonの取り組みは、いくつかの条件が重なって実現したものです。
第一に、長期的な協働関係です。井口代表と私は、2009年から雪国観光圏のブランディングに取り組んできました。地域文化への理解を深め、言語化し、事業者と共有するには時間がかかります。10年以上の対話の蓄積が、ryugonのコンセプトを支えています。
第二に、既存資産の存在です。旧龍言には、かつて武家屋敷や豪農の館として使われた移築建築がありました。200年の歴史を持つ建物という資源があったからこそ、「再生」という選択肢が生まれました。ゼロから文化を表現する建物を作るのとは、出発点が異なります。
第三に、DMOの活動基盤です。雪国観光圏は2008年から活動を続け、地域文化の掘り起こしと言語化を積み重ねてきました。ryugonが「雪国文化を体感する宿」として成立するのは、その背景に「雪国文化とは何か」を定義するDMOの仕事があったからです。
これらの条件は、ryugonを特殊事例にするものではありません。むしろ、文化を事業に実装するために何が必要かを示しています。長期的な視点、活用できる資源、そして文化を翻訳する中間機能。この3つが揃うことで、文化と事業の接続が可能になるのです。
ryugonの取り組みが、地域内の他事業者の意識を劇的に変えたとまで言うのは、まだ早いかもしれません。しかし、地域にひとつの明確な「実例」を示したことは、深層で影響を与え始めているはずです。
その証拠に、旧龍言時代は閑散期だった冬季の宿泊者が増え、今では「雪国」を最も感じる人気シーズンになっています。雪国文化には、人を呼べるだけの経済的な価値がある。それが証明されたことは、若い世代が事業継承に挑戦する局面でも、何よりも希望となるのではないでしょうか。
この事例が示しているのは、DMOと事業者の協働による文化と経済の循環です。
DMOの役割は、散在する文化資源を調査・体系化し、「雪国文化」という共有可能な地域コンセプト(知の力)に翻訳することでした。これにより、個々の事業者が「何を軸にすればよいか」が明確になりました。
事業者の役割は、その地域コンセプトを、具体的な空間・体験・サービスとして実装することです。ryugonは、雪国文化というコンセプトを、200年の梁、雪壁体験、雪国ガストロノミーという形で具現化しました。
地域コンセプトがあることで、事業者は「文化とは何か」をゼロから考える必要がなく、それを「どう実装するか」に集中できます。同時に、複数の事業者が同じコンセプトを共有することで、地域全体に一貫性が生まれます。
地域文化が、DMOによって地域コンセプト(知の力)に翻訳され、事業者がそれを事業に実装し、地域に経済効果と希望をもたらす。ryugonの事例が示しているのは、この「文化と経済の循環」であり、DMOと事業者の新しい協働モデルです。
そしてそれは、企業を強くし、地域を豊かにする道でもあると考えています。
本記事で示した[資源→作用→力]の分析は、ryugonの事例を理解いただくための例示です。
実際のN37による文化の力診断では、事業者への詳細なヒアリングをもとに、AI分析により資源・作用・力を客観的に導出します。このプロセスを経ることで、より精緻で実践的な分析が可能になります。
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