Journal: Concept

経済主導から文化主導の時代へ

2025.12.20

経済主導から文化主導の時代へ シリーズ

第1回:本記事 | 第2回:宿は何に応答しているか | 第3回〜第6回:準備中

雪国から考える

雪がたくさん降った日の朝、事務所の前の雪かきをします。歩道も雪かきしますので、かなり疲れますが、終わった後は不思議とスッキリします。それは、身体を動かしたから、雪が消えたからという面もありますが、それだけではない気がします。歩道を歩きやすくしたという小さな貢献や、自然環境に正面から向き合っているという確かさを感じられます。大袈裟かもしれませんが、身近な手応えを通じて世界と触れ合っている感覚です。

一方で、都市の日常では、こうした感覚を得にくくなっているのではないかとも思います。経済的な効率が優先され分業化や自動化が進んだ結果、誰が何をやっているのか、自分の行為がどこにつながっているのかが見えにくい社会になっているからではないでしょうか。

雪かきで感じるような手応えを、日常の中から失いつつある。そのことへの不安や反動が、社会のあちこちで顔を出し始めているように感じます。そうだとすれば、これから向かうべき方向も、少し違った姿で見えてくるのではないか。

ここで、次のような見通しを提示したいと思います。

  • これからの時代は、成長や効率といった単一の意味が駆動する経済が行き詰まり、それに変わるようにして、環境や歴史に根ざした多様な文化が前景化していくのではないか。
  • 経済活動そのものはこれからも社会を駆動するが、その正統性を判断する基準が、効率や収益といった経済内部の尺度だけではなく、「その事業はどんな環境や歴史に根ざし、どんな意味を育てているのか」という文化側の基準へと移行し、それによって投資判断や企業評価が左右されるようになっていくのではないか。

人類学からの学び

先ほどの見通しを支えているのは、「人は意味の網のなかで生きている」という前提です。ここからは、人類学が示す世界の多様さを手がかりに、文化を捉え直してみます。

文化という概念は幅広くて、簡単には定義できません。それでも、人類学の記録を読んでいくと、どの社会にも、その社会なりの意味のネットワークが見えてきます。たとえば、ポトラッチやクラ(※1)、シベリアの狩猟民のアニミズム(※2)、アボリジニ長老たちのドリーミング(※3) などの独自性は、それぞれの環境や歴史、技術との応答の中で育まれた世界解釈のあり方だと理解できます。

そこでここでは、ひとつの定義として「文化は意味のネットワークである」と考えてみます。意味のネットワークは、環境や歴史と結びつきながら、多様なあり方をしています。本来は、そうした多様なあり方が並び立ち、そのひとつのバリエーションとして経済を中心とした文化もあるという状態が自然だと考えられます。

しかし産業革命後、環境や歴史などから切り離されて、「経済成長」や「効率」といった単一の意味が過度に前景化してしまいました。さまざまな意味のネットワークがあるにもかかわらず、そのうちの一つの尺度だけが前面に出て、世界全体を覆ってしまっています。

これからの時代、何が前景化していくのか

その軋みが、さまざまなかたちで現れているのが現代です。止まるところを知らない開発は自然を破壊し、気候変動は身近な農水産物にも影響を与えています。情報が氾濫する社会では意味が溢れすぎて何が正しいのか見えにくくなっています。現代人の孤立も深刻で、多くの問題の背景に「関係性の質の劣化」があることは、すでに多くの人が感じ始めています。

こうした状況のなかで、人々はあらためて自分が拠って立つ「意味」の質に向き合わざるをえなくなりつつあります。企業も、自社の利益だけを追求すればよかった時代は終わり、「どのような環境に結びついているのか」を問われるようになってきています。「自社の事業が環境や社会にどう影響するか」を問うESGや、「自社は何のために存在するのか」を明確にしようとするパーパス経営への関心の高まりは、その現れでしょう。

人もまた、個としてだけでなく、さまざまな意味のネットワークのなかにある存在として自分をとらえ直す必要に迫られていくでしょう。もっといえば、人は誰もが歴史の流れの中にいるということ、つまり「何を受け継ぎ、次に何を渡していくのか」という問いにも向き合わざるをえなくなっていく。そう考えています。

こうした流れを踏まえると、冒頭であげた見通しは、単なる希望的観測ではなく、今の状況からごく自然に出てくる仮説だといえます。

  • これからの時代は、成長や効率といった単一の意味が駆動する経済が行き詰まり、それに変わるようにして、環境や歴史に根ざした多様な文化が前景化していくのではないか。
  • 経済活動そのものはこれからも社会を駆動するが、その正統性を判断する基準が、効率や収益といった経済内部の尺度だけではなく、「その事業はどんな環境や歴史に根ざし、どんな意味を育てているのか」という文化側の基準へと移行し、それによって投資判断や企業評価が左右されるようになっていくのではないか。

変化の予兆

ここまで見てきたように、「何に価値を感じるのか」という基準は、成長や効率だけではなく、意味の質へと少しずつ動き始めています。その変化は、すでにいくつかの領域に予兆として現れています。

たとえばラグジュアリーブランドの世界では、もともと長い時間をかけて磨かれた技術や、何世代も続いてきた工房や地域の歴史といった「時間の厚み」が価値の核にありました。近年はそこにあらためて光が当たり、「誰がどこでどう作っているのか」「どんな物語を背負った技なのか」といった点が、よりはっきり打ち出されるようになっています。クラフトへの回帰も、その流れのひとつと見ることができます。そこでは、モノそのものだけでなく、「どんな意味と時間をまとったモノなのか」が、価値の中心に据え直されつつあります。

地方移住やローカル志向の動きも同様です。それは、便利だけど環境や歴史と切り離された都市ではなく、土地の風土や歴史、コミュニティとのつながりを重視した選択だといえます。言い換えると、「どこに属していると自分らしくいられるか」という意味を、都市だけでなく地方にも広げて考えるという流れです。便利さや収入だけではなく、「どんな環境や人との関係のなかで生きたいか」という問いが、じわじわと前に出てきています。これは、個々人が意味の多様なあり方に向き合い、そこから自分に合う環境を選び直している動きだといえるでしょう。

これらはいずれもスローで、まだ主流ではありません。しかし、価値判断が、成長・効率という単一の尺度から、意味の質へと移りつつある兆しとして読むことができます。

経済主導から文化主導の時代へ

経済が世界を牽引してきた時代には、成長と効率が価値判断の中心にあり、文化はその背後で軽く扱われるか、経済の道具として従属させられてきました。しかし、環境・社会・意味の歪みが限界に近づいている現在、私たちは再び「どんな意味があるか」という問いに向き合うことになっていくでしょう。なぜなら人類学が教えてくれたように、そもそも人は意味の網の中で生きる存在だからです。

文化は、まさにその「意味のネットワーク」です。環境に適応した暮らし方や、受け継がれてきた歴史の厚みがそこに織り込まれ、人びとはそれにもとづいて「何がよいか」「何が美しいか」「何が正しいか」を共有してきました。これからは、成長や効率といった単一の物差しだけではなく、こうした意味の質にもとづく多様な文化が、社会や経済のあり方を判断する前面に出てくると考えています。

経済の時代から、文化の時代へ。この大きな転換期において、N37は、文化を単なるコンテンツや教養としてではなく、ビジネスや地域を未来へ導く駆動力として捉え直しました。そのための羅針盤が、「文化の力フレーム」です。

この新しいレンズを通して世界を見ると、今までとは違う景色が見えてきます。

たとえば、すでに見たラグジュアリーとクラフトの接近や、地方移住・ローカル志向の高まりは、まさにその一例です。そこでは、数字では測りにくい「歴史や技の厚み」「環境や共同体とのつながり」こそが、価値の中心へと戻りつつあります。

私たちは、こうした「文化=意味のネットワーク」をどう読み解き、どう言葉にしていくかについて、新しい枠組みを必要としています。

来るべき文化の時代に向けて、その場所や組織にどのような意味が育っているのかを見えるようにし、次の一歩の実践につなげていく。そのための枠組みとして、私たちは文化の力フレームを提案しています。

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(2):宿は何に応答しているか文化の力フレーム

参考文献

※1 マルセル・モース『贈与論』吉田禎吾・江川純一訳、筑摩書房、2009年。

※2 レーン・ウィラースレフ『ソウル・ハンターズ――シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学』奥野克巳・近藤祉秋・古川不可知訳、亜紀書房、2018年。

※3 保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー――オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』岩波現代文庫、2018年。

※4 安西洋之・中野香織『新・ラグジュアリー』クロスメディア・パブリッシング、2022年。