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雪がたくさん降った日の朝、事務所の前の雪かきをします。歩道も雪かきしますので、かなり疲れますが、終わった後は不思議とスッキリします。それは、身体を動かしたから、雪が消えたからという面もありますが、それだけではない気がします。歩道を歩きやすくしたという小さな貢献や、雪という自然に正面から向き合っているという確かさを感じられるからです。少し大袈裟かもしれませんが、身近な手応えを通じて、世界と触れ合っている感覚です。
一方で、現代の暮らしでは、こうした感覚を得にくくなっているのではないかとも思います。経済的な効率を優先して、とことんまで分業化や自動化が進んだ結果、誰が何をやっているのか、自分の行為がどこにどうつながっているのかが見えにくい社会になっているからです。
雪かきで感じるような「手応え」を、日常の中から失いつつある。そのことへの不安や反動が、社会のあちこちで顔を出し始めているように感じます。そうだとすれば、これから向かうべき方向も、少し違った姿で見えてくるのではないか。
ここで、次のような見通しを提示したいと思います。
先ほどの見通しを支えているのは、「人は関係と意味の網のなかで生きている」という前提です。ここからは、人類学が示す世界の多様さを手がかりに、文化を捉え直してみます。
文化という概念は幅広くて、簡単には定義できません。それでも、人類学の記録を読んでいくと、どの社会にも、その社会なりの「関係性」と「意味づけ」のネットワークが見えてきます。たとえば、ポトラッチやクラ※1、シベリアの狩猟民のアニミズム※2、アボリジニ長老たちのドリーミング※3 などの独自性は、それぞれの環境や歴史、技術との応答の中で育まれた世界解釈のあり方だと理解できます。
そこでここでは、ひとつの定義として「文化は関係性と意味づけのネットワークである」と考えてみます。「関係性」と「意味づけ」は、環境や歴史と結びつきながら、様々な場で多様なあり方をしています。本来は、そうした多様なあり方が並び立ち、そのひとつのバリエーションとして経済を中心とした文化も位置づけられている状態が、より自然だと考えられます。
しかし産業革命の後は、環境や歴史などとの関係から切り離されて、「経済成長」や「効率」といった単一の意味づけが過度に前景化してしまいました。さまざまな関係性と意味づけのあり方があるにもかかわらず、そのうちの一つの尺度だけが前面に出て、世界全体を覆ってしまっています。
その軋みが、さまざまなかたちで現れているのが現代です。止まるところを知らない開発は自然を破壊し、気候変動は身近な農水産物にも影響を与えています。情報が氾濫する社会では意味が溢れすぎて何が正しいのか見えにくくなっています。現代人の孤立も深刻で、多くの問題の背景に「関係性の質の劣化」があることは、すでに多くの人が感じ始めています。
こうした状況のなかで、人々はあらためて自分が拠って立つ「関係や意味づけの質」に向き合わざるをえなくなりつつあります。企業も、自社の利益だけを追求すればよかった時代は終わり、「どのような環境との関係を結んでいるのか」を問われるようになってきています。「自社の事業が環境や社会にどう影響するか」を問うESGや、「自社は何のために存在するのか」を明確にしようとするパーパス経営への関心の高まりは、その現れです。
人もまた、個としてだけでなく、さまざまな関係性のなかにある存在として自分をとらえ直す必要に迫られていくでしょう。もっといえば、人は誰もが歴史の流れの中にいるということ、つまり「何を受け継ぎ、次に何を渡していくのか」という問いにも向き合わざるをえなくなっていく。そう考えています。
こうした流れを踏まえると、冒頭であげた見通しは、単なる希望的観測ではなく、今の状況からごく自然に出てくる仮説だといえます。
ここまで見てきたように、「何に価値を感じるのか」という基準は、成長や効率だけではなく、関係性と意味づけの質へと少しずつ動き始めています。その変化は、すでにいくつかの領域に「予兆」として現れています。
たとえばラグジュアリーブランドの世界では、もともと、長い時間をかけて磨かれた技術や、何世代も続いてきた工房や地域の歴史といった「時間の厚み」が価値の核にありました。近年はそこにあらためて光が当たり、「誰がどこでどう作っているのか」「どんな物語を背負った技なのか」といった点が、よりはっきり打ち出されるようになっています。ラグジュアリーブランドの職人文化やローカル文化の再評価も※4、その流れのひとつと見ることができます。そこでは、モノそのものだけでなく、「どんな関係と時間をまとったモノなのか」が、価値の中心に据え直されつつあります。
地方移住やローカル志向の動きも同様です。それは、便利だけど環境や歴史と切り離された都市ではなく、土地の風土や歴史、コミュニティとの関係性を重視した選択だといえます。言い換えると、「どこに属していると自分らしくいられるか」という意味づけを、都市だけでなく地方にも広げて考えるという流れです。便利さや収入だけではなく、「どんな環境や人との関係のなかで生きたいか」という問いが、じわじわと前に出てきています。これは、個々人が関係性と意味づけの多様なあり方に向き合い、そこから自分に合う環境を選び直している動きだといえるでしょう。
これらはいずれもスローで、まだ主流ではありません。しかし、価値判断が、成長・効率という単一の尺度から、関係性と意味づけの質へと移りつつある兆しとして読むことができます。
経済が世界を牽引してきた時代には、成長と効率が価値判断の中心にあり、文化はその背後で軽く扱われるか、経済の道具として従属させられてきました。しかし、環境・社会・意味の歪みが限界に近づいている現在、私たちは再び「どんな関係を結び、どんな意味を生み出しているのか」という問いに向き合うことになっていくでしょう。なぜなら人類学が教えてくれたように、そもそも人は関係や意味の網の中で生きる存在だからです。
文化は、まさにその「関係性と意味づけのネットワーク」です。環境に適応した暮らし方や、受け継がれてきた歴史の厚みがそこに織り込まれ、人びとはそれにもとづいて「何がよいか」「何が美しいか」「何が正しいか」を共有してきました。これからは、成長や効率といった単一の物差しだけではなく、こうした関係と意味の質にもとづく多様な文化が、社会や経済のあり方を判断する前面に出てくると考えています。
経済の時代から、文化の時代へ。この大きな転換期において、N37は、文化を単なるコンテンツや教養としてではなく、ビジネスや地域を未来へ導く「駆動力」として捉え直しました。そのための羅針盤が、文化の力フレームです。
この新しいレンズを通して世界を見ると、今までとは違う景色が見えてきます。
たとえば、すでに見たラグジュアリーとクラフトの接近や、地方移住・ローカル志向の高まりは、まさにその一例です。そこでは、数字では測りにくい「歴史や技の厚み」「環境や共同体とのつながり」こそが、価値の中心へと戻りつつあります。
私たちは、こうした「文化=関係性と意味づけのネットワーク」をどう読み解き、どう言葉にしていくかについて、新しい枠組みを必要としています。
来るべき文化の時代に向けて、その場所や組織にどのような関係と意味が育っているのかを見えるようにし、次の一歩の実践につなげていく。そのための枠組みとして、私たちは文化の力フレームを提案しています。
見えない力を読み解く|文化の力フレーム|文化の力をひらく3つの事業
参考文献
※1 マルセル・モース『贈与論』吉田禎吾・江川純一訳、筑摩書房、2009年。
※2 レーン・ウィラースレフ『ソウル・ハンターズ――シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学』奥野克巳・近藤祉秋・古川不可知訳、亜紀書房、2018年。
※3 保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー――オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』岩波現代文庫、2018年。
※4 安西洋之・中野香織『新・ラグジュアリー』クロスメディア・パブリッシング、2022年。