文化の力フレームは、地域や組織にある「見えない力」を読み解き、次の一手を考えるための枠組みです。ざっくり言えば、分析して現在地をつかみ、どの作用を増やすとよいかを設計するところまでが得意です。たとえば「共創が効きそうだ」「翻訳が必要だ」といった見立てを、構造として言えるようになります。
ただ、そこで必ず次の壁にぶつかります。
その作用を、現場でどうやって起こすのか。起きた状態をどうやって続けるのか。
「反復が必要だ」と分かった。では、誰が、何を、どうやって回すのか。
この実践の入口で、議論が止まる。ここに、もう一つの仮説が必要になります。
この文章は、そのための整理です。私たちは仮に、それを「述語人材論 v0.1」と呼んでおきます。
まず視点を、主語から述語へ移します。
主語中心の見方では、「誰ができるか」が前に出ます。すると評価が能力査定に寄りやすくなり、足りない点を埋める発想──強い人を入れる、適任者を探す、研修で能力を上げる──に寄りがちです。もちろんそれも必要ですが、現場が動かないとき、問題がそこにないこともあります。
述語中心の見方では、「この場で何が起きるか」が前に出ます。評価は「作用が起きたか」に寄ります。すると発想が変わります。誰がすごいかより先に、作用が起きる条件を整えよう、という方向に向かう。ここが、述語に注目する意味です。
このとき「述語」とは、難しい話ではありません。ざっくり言えば「〜する」です。
「誰が」ではなく「何を起こすか」。その転換を起点にします。
述語人材という言葉を聞くと、特別な人物像を思い浮かべやすいかもしれません。ですが、ここではそう考えません。述語人材とは、ある個人の資質の名前ではなく、作用が起きるように「役割と条件」を設計する発想のことだ、と置きます。
言い換えるなら、述語人材はこういう問いを立てる人です。
このとき重要なのは、人だけではありません。コンセプト、手順、成果物のような「人以外の要素」も、場の動きを押したり止めたりします。人と同じくらい、それらも“動かす側”として扱う。ここに、述語人材論の実践的なポイントがあります。
雪国観光圏のブランドWGを、ひとつのモデルとしてみてみます。ここでは、何が場を動かしたかに注目します。
コンセプトは、議論を「沿う/沿わない」に引き戻す軸になります。
そしてコンセプトは、翻訳を要求します。抽象度の高いコンセプトを伝えるには、現場の言葉に言い換える必要があるからです。
フリーペーパーという成果物もまた、翻訳を要求します。読む人に届く表現に落とし込まないと「伝わらない」からです。
「伝える」と「伝わる」はたった一文字しか違いませんが、そこには大きな溝があります。その溝を埋めるのが翻訳です。
コンセプトと成果物が両側から押すことで、翻訳作用が自然に立ち上がりやすくなります。
議論の順番をあらかじめ決めておく。最初にwhy(なぜ)を共有して基準を置く。
そうすると、what(何を)やhow(どうやって)の議論で迷いが出ても、whyに照らして確かめることができます。
そして、why-what-howと徐々に議論を具体に絞り込んでいく。これが研磨の入り口になります。
ここで大事なのは、個々人の能力というより「役割が揃うこと」です。たとえば、
役割が揃うと同時に、それぞれのモチベーションも考え合わせると、共創が立ち上がりやすくなります。
フリーペーパーという成果物があると、締切・編集・反応の循環が生まれます。
できたものが外に出て、反応が返ってくる。そのフィードバックが次の動きの燃料になります。
フリーペーパーは目に見える形で世に出ます。そうすると、読者や現場の反応が返ってきます。だから言い訳がききません。会議で誰が言ったか、誰の意見が通ったかよりも、できたものが良いかどうかに、全員の意識が集まります。
フリーペーパーは、「誰が言ったか」から「何ができたか」へ、判断を切り替えやすくする装置だと思います。
ここまでを踏まえると、次の仮説が立ちます。
場は、ファシリテーターの技量だけで決まるのではない。
コンセプト、手順、成果物、役割の配分によって、場の安定はかなり作れるのではないか。
もちろん、個人の影響がゼロになるわけではありません。ただ、場づくりを「才能の話」に閉じてしまうと、また能力の話に戻ってしまう。述語に注目するとは、そこから一歩離れて、条件の設計に視点を移すことだと思います。
述語人材論 v0.1 の結論を、いったん一文にするとこうなります。
述語人材とは、特別な個人のことではなく、コンセプト・手順・成果物・座組を“動かす側”として設計し、翻訳・共創・反復・研磨が立ち上がる条件を整える発想である。
この仮説はまだ暫定です。ただ、実践フェーズで必ず出る「誰がやるのか」「どう続けるのか」という問いに対して、「能力」だけではない別の答え方を提供できると思っています。
※なお、ここでの述語人材論は、制度側の実務(議会対応や行政手続き)までを包含するものではありません。そこは適切な役割分担が必要です。
今後は、事例を増やし、どの配置がどの作用を立ち上げやすいのかを比較しながら、この仮説を更新していきます。
参考文献
・福原義春/文化資本研究会『文化資本の経営』ニュ-ズピックス、2023年
・ブルーノ・ラトゥール『社会的なものを組み直す―アクターネットワーク理論入門』伊藤嘉隆訳、法政大学出版局、2019年